対象文章のデータファイルをAIサイトにアップロードし、「100文字程度で添付ファイルの要旨をまとめるように」と依頼すると、短時間で要約文を生成してくれます。これは要約文作成時間の削減に画期的な効果を発揮してくれます。
例えば、顧客に提案するテーマを発見するために、その会社の有価証券報告書に記載された膨大な情報から、「会社として抱えるリスクや課題を抽出するように」と依頼してAIに要約文を作成させると顧客分析の時間が短縮できます。
ひと昔前では、空想の世界で描かれていた技術がどんどん実現していることに驚きを覚えるとともに、これらをうまく活用していかないと時代に取り残されるのではとの不安を抱くのは私だけでしょうか。
ところでしばらくたってから、要約文の詳細内容や背景を思い起こす必要が発生した時には、この作業はまったく役に立たないものになります。そもそも、AIが作成してくれた要約文に対しては文法上の誤りが無いか程度のチェックしかやってないものですし、できた要約文には思い入れもありませんから内容を記憶しているはずがないのです。
さて、一般的な学習プロセスにおいては、「読む」、「書く」の繰り返しが知識の習得に役立ちます。同様に、文献の要約作業において、たとえ斜め読みであろうが、時間をかけて自分で文章を読み、要旨をつかみ、要約文を草稿することは、少なからずその内容を記憶にとどめる行為となります。この過程を経ると、AIの要約では省略されたような「キーワード」や「文章の配列」がなんとなく頭にのこっていて、あとで、それから紐づけされた内容を思い出せるなんてことがあるのではないでしょうか。そういう意味では、文献の内容を自ら要約するプロセスは、その断片を記憶するプロセスでもあるのです。
このことは、AIの利用を否定している訳ではありません。あとで思い返す必要のない文章の要約作業などはAIの活用を推進すれば良いのです。しかし、自身の知識を増やす、経験の疑似体験をする必要があるなどの場合には、その教本となるべき文献の要約作業を「学習の機会」ととらえ、多少時間がかかっても「読む」「理解する」「書く」というプロセスを大事にすることが重要なのではないでしょうか。便利なAI技術は、利用シーンを選び、賢く利用していくことが大事なのかもしれません。(T.M.)
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